Case59 具体的事情の下でトランスジェンダーの職員に対する女性トイレの使用制限を違法とした最高裁判例・国・人事院(経産省職員)事件・最判令5.7.11労判1297.68
(事案の概要)
原告は、経済産業省に勤務する国家公務員で、戸籍上の性別(男性)は変更していないトランスジェンダーです。原告は、幼少期から自己の性別に強い違和感を抱き、平成10年頃から女性ホルモンの投与を受けるようになり、平成11年頃に専門医から性同一性障害の診断を受けました。また、脱毛、顔の女性化形成手術を受け、平成20年頃からは私的な時間の全てを女性として過ごしていましたが、皮膚疾患等が原因で性別適合手術を受けることができないため、戸籍上の性別を変更することもできませんでした。原告は、平成22年3月頃までには、男性ホルモンの量が同年代の男性の基準値の下限を大きく下回り、性衝動に基づく性暴力の可能性が低いとする医師の診断を受けていました。
原告は、平成21年、上司や経産省に自らが性同一性障害であること、女性トイレの使用を含む女性職員としての勤務希望を伝えました。
経産省は、平成22年7月、原告の執務する部署の職員に対して原告の性同一性障害についての説明会を行い、原告が女性トイレを使用することについて意見を求めました。その際、原告が執務階の女性トイレを使用することについて数名の女性職員がその態度から違和感を抱いているように「見えた」こと、執務階の一つ上の階の女性トイレを日常的に使用すると述べた女性職員が1名いました。これらを踏まえて、経産省は、原告に執務階とその上下の階の女性トイレの使用を認めず、2階以上離れた女性トイレの使用を認める本件処遇を実施しました。
原告は、説明会の翌週から女性の服装等で女性として勤務し、執務階から2階離れた女性トイレを使用するようになりましたが、他の職員とトラブルになることはありませんでした。また、原告は、平成23年に、家庭裁判所の許可を得て名を女性を前提とする名に変更し、職場でもその名を使用するようになりました。
原告は、平成25年12月、人事院に対して、女性トイレを自由に使用させることを含め、原則として女性職員と同等の処遇を行うこと等を内容とする本件各措置要求をしたところ、いずれも認められない旨の本件判定を受けました。
本件は、原告が、本件判定にかかる処分の取り消しを求め、また国家賠償法に基づき慰謝料等の支払を求めた事案です。
また、上長から「なかなか手術を受けないんだったら、もう男に戻ってはどうか。」または「服装を男のものに戻したらどうか。」という趣旨の発言を受けたことについても、慰謝料を請求しています。
(判決の要旨)
一審判決
一審判決は、「性別は、社会生活や人間関係における個人の属性の一つとして取り扱われており、個人の人格的な生存と密接かつ不可分のものということができるのであって、個人がその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができることは、重要な法的利益として、国家賠償法上も保護される」としたうえ、「トイレが人の生理的作用に伴って日常的に必ず使用しなければならない施設であって、現代においては人が通常の衛生的な社会生活を送るに当たって不可欠のものであることに鑑みると、個人が社会生活を送る上で、……その真に自認する性別に対応するトイレを使用することを制限されることは、……上記の重要な法的利益の制約に当たる」と判示しました。
そして、原告が女性ホルモン投与によって女性に対して性的な危害を加える可能性が客観的に低い状態に至っていたことを経産省が把握していたことや、原告が女性として認識される度合いが高いものであったことなどを考慮すると、原告が女性トイレを使用することでトラブルが生じる可能性は、せいぜい抽象的なものにとどまるものであり、経産省もそのことを認識できたとして、庁舎管理権の行使に当たって尽くすべき注意義務を怠ったとして、国賠法上の損害賠償責任を認め、その限りで本件判定が違法であるとして取り消しました。
また、上長の上記発言についても違法性を認めました。
控訴審判決・東京高判令3.5.27労判1254.5
控訴審は、本件トイレに係る処遇は、自らの性自認に基づいた性別で社会生活を送るという法律上保護された利益が侵害されていることになる、と原告に対する法益侵害を認めました。
しかし、国賠法上の違法性は、公務員が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該行為をしたと認め得るような事情がある場合にのみ認められるという「国賠法上の違法」の法理に基づき、経産省の諸々の対応から、公務員が職務上尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該行為をしたと認め得るような事情があるとは認め難いとして、国賠法上の違法性を否定し、本件判定を適法としました。
結果として、上長の発言に対する慰謝料10万円及び弁護士費用1万円のみ認容されました。
最高裁判決
最高裁は、原告は、性同一性障害である旨の医師の診断を受けているところ、本件処遇の下において、自認する性別と異なる男性用のトイレを使用するか、執務階から離れた階の女性トイレ等を使用せざるを得ないのであり、日常的に相応の不利益を受けているとしました。
一方、原告は、健康上の理由から性別適合手術を受けていないものの、女性ホルモンの投与や手術を受けるなどしているほか、性衝動に基づく性暴力の可能性は低い旨の医師の診断も受けていること、本件説明会後約4年10か月間、原告が女性の服装等で勤務し、執務階から離れた階の女性トイレを使用することでトラブルが生じたことはないこと、本件説明会において明確に異を唱える職員はいなかったこと等の事情から、遅くとも本件判定時には、原告が女性トイレを自由に使用することについて、トラブルが生ずることは想定し難く、特段の配慮をすべき他の職員の存在も確認されていなかったのであり、原告に対し、本件処遇による上記のような不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかったとして、本件判定部分に係る人事院の判断は、本件における具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し、原告の不利益を不当に軽視するものであって、関係者の公平並びに原告を含む職員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかったものとして、著しく妥当性を欠くとして、本件判定を裁量権の逸脱、濫用として違法とし取り消しました。