Case117 賃金債権の放棄がされたというためには、労働者の自由な意思に基づくことが明確でなければならないとした最高裁判例・テックジャパン事件・最判平24.3.8労判1060.5
(事案の概要)
⑴ 社会保険への加入
原告労働者は、雇用契約締結時、被告会社から、手取りの金額を増やしたいのであれば、自分で国民健康保険や国民年金に加入する方法もある等の説明を受け、雇用保険には入りたいと答えました。会社は、原告につき雇用保険には加入させましたが、健康保険・厚生年金保険には加入させませんでした。
原告は、会社が社会保険への加入を妨害したとして慰謝料の支払いを求めました。
⑵ 有給休暇
雇用契約締結時、会社は、原告に対して、有給休暇の定めはないので、毎月の稼働時間の範囲で調整してほしいと説明し、有給休暇を与えませんでした。
原告は、入社半年経過後からの1年間で140日間の休日を、続く1年間で158日間の休日を取得していました。
原告は、有給休暇を取得させなかったとして慰謝料の支払いを求めました。
⑶ 残業代
原告と会社は、月間の稼働時間が140時間から180時間であれば月額基本給41万円、稼働時間が180時間を超えた場合は1時間当たり2560円の残業代を支払い、稼働時間が140時間に満たない場合には、1時間当たり2920円を控除する旨合意していました。就業規則上、会社の所定労働時間は160時間でした。
原告は、所定労働時間である月160時間を超えた労働に対する割増賃金の支払いを求めましたが、会社は月160時間を超え180時間までの労働に対する割増賃金は月額基本給に含まれており、原告は当該時間の割増賃金請求権をあらかじめ放棄していると主張しました。
(判決の要旨)
一審判決
⑴ 社会保険への加入
一審は、会社が原告に対してあたかも健康保険・厚生年金に加入しなくてもよいかのような説明をしたことが認められる一方で、原告が雇用保険への加入のみを申し出ていることから、当面の手取り収入を優先して健康保険・厚生年金に加入しないことを了承したものと推認されるとして、慰謝料10万円のみを認めました。
⑵ 有給休暇
また、会社には労基法39条の違反があったと認めらえるものの、原告は実質的には有給休暇を付与されていたのとほぼ同じ状態にあったとして、慰謝料2万円のみを認めました。
⑶ 残業代
さらに、原告が月160時間を超え180時間までの割増部分を含めた賃金として41万円とすると合意したとは認められないとして、原告の残業代請求を認めました。
控訴審判決
⑴ 社会保険への加入
控訴審は、原告が自らの判断で健康保険・厚生年金に加入しないことを選択したのであり、社会保険に加入したかったという希望が妨害されたとはいえないとして、慰謝料の請求を棄却しました。
⑵ 有給休暇
また、原告は実質的には有給休暇を付与されていたのと同じような休暇取得状況にあったとして、この点についても慰謝料の請求を棄却しました。
⑶ 残業代
さらに、控訴審は、本件雇用契約における賃金設定は原告に顕著に有利であるとし、原告は月160時間を超えて180時間までの労働時間に対する割増賃金請求権を自由意思により放棄したとして、月180時間を超えた部分の残業代しか認めませんでした。
上告審
最高裁は、⑶残業代につき、基本給について、通常の労働時間の賃金に当たる部分と労基法37条1項に規定する時間外の割増賃金に当たる部分とを判別することができず、会社は原告に対し、月間180時間以内の労働時間についても、月額41万円の基本給とはべつに割増賃金を支払う義務があるとしました。
また、会社の、原告が割増賃金請求権を放棄しているとの主張について、労働者による賃金債権の放棄がされたというためには、その旨の意思表示があり、それが当該労働者の自由な意思に基づくものであることが明確でなければならないとし、本件では原告の自由な意思に基づく時間外手当の請求権を放棄する旨の意思表示があったとはいえないとし、原告の残業代請求を認めました。